言葉で一喜一憂
最近、気持ちが落ち込んでいました。
本当に気が滅入ってしまって、もう仕事を休みたい、辞めてしまいたい、もうどこか誰も知らない田舎へ行ってしまいたい…。
秋に受講が決まっている講座なんてもういいや…って思うほどでした。
原因は、会社の部署での陰口。誰のことを言っているのか名前が耳に入る時もあれば、入らない時もあります。
それが先週の金曜日は続いてしまって、週末休んでも、月曜日はすごく病んでいて、もう、仕事バックれたい!辞めてしまおう!と思って派遣会社の担当者に電話をして気持ちを伝えました。
担当者の方と話して、ひとまず、私の勤めている管理者の方に状況を伝えて、お話しできるような機会を設けるようにする、ということになりました。
私は、もうやめたい…。それだけがずっとあり、派遣会社を通さなければ直ぐに辞めれたのかな…なんて思ったりしていました。
そして、今日、管理者の方とお話しをしました。正確には働いている人一人ひとりと管理者が面談する形でした。(きっと私が派遣の担当者に話したタイミングと面談が偶然重なったような気がします…)
私の部署の管理者ともう一つ上の管理者の方と3人でお話しをしました。
管理者から「仕事はどうですか?」と聞かれ「え、うーん。」と、なりつつ、お勤めしてからの状況と気が滅入ることがあり、それが体調に出ることを話しました。
管理者の方から
「うちの会社の社長が言っていたんだけどね、仕事は100%じゃなくて60%でやったらいいんだよ。
手を抜いて仕事をするという意味ではなく、いつも100%でやらなくちゃと気を張り詰めないで、肩の力を抜いて仕事をしてね」
と言われました。
この言葉で私は自分が仕事に重点を置いていて、いつも100%でやっていることに気付きました。
だから疲れていました。仕事をするから疲れるのは当たり前なのかもしれませんが、いつも仕事を終えて家に帰ると何もしたくなくて、何もできない日々が続いていました。
「せっかく定時上がりで時間があるのに・・・・」といつも思っていました。
けれど、今日管理者の方の言葉でやっと原因が分かりました。そのことに気付いた瞬間に心が晴れやかになり、体が軽くなりました。
そして、体の底から力が戻ってくる感覚がありました。
「ああ、力が戻ってきている…!」と。
また、部署内での陰口で気が滅入って体調に出てしまうことを伝えると、
「気にしないでと言っても気にしてしまうのが人なので、気にしないことを気にしない。
気にするところは気にする、そうじゃないところは気にしない、としてみたらいいのではないかな」
と言われました。
この言葉は私の中にストンと落ちてきました。
「気にしないでって言っても気にしてしまうのが人なのでー」と言われたときに、「管理者の人は、そんなこと気にしなければいいんだよ!っていう人じゃない!」と思い、管理者の言葉から、経験の重みを感じました。
今日の面談で改めて、人からもらう言葉ってすごく力があると思いました。
言葉一つで良くも悪くもできる。だからこそ、言葉は慎重に、丁寧に扱わないといけない、そして相手に伝えるときの言葉の使い方を気をつけようと思いました。
いつも何に困っているか悩んでいるか分かっていなくて、「大丈夫です」と言って片づけていたので、今回、自分の気持ちを溜め込まないで伝えて良かったと思いました。
ふと私が大学のとき就職とは、定時で帰れないのは当たり前、ハラスメントがあったり、職場の人間関係がゴチャゴチャしていて大変、でも3年は勤めなきゃってイメージしていて、会社に勤めること嫌っていました。
けれど、今回出会った管理者のように、理解のある人の元でだったら働きたいなって思いました。
大変なことはあるけど、管理者の言葉を心に置きながら仕事していこうと思います。
P.S.
先週からすごく苦しかったけれど、元気になってきているので「毒親」の記事の方もアップしていきたいと思います。
悲しみではなく怒りだった~お仕事で気づいた感情~
最近、今まで「悲しみ」だと思っていたことは、「怒り」だったということに気付きました。
今回は毒親ではなく別なお話です。
感情の違いに気付くきっかけとなったのは先週のことです。
私は事務の仕事をしています。先週の金曜日は体調もおかしく熱はないのに頭がぼーっとしたりして、小さなミスを連発していました。18時に仕事が終わって、いつも金曜日は次の日がお休みだからルンルン気分で帰宅したり、寄り道をするのですが、そういった余裕もありませんでした。
気分ダダ下がり、体は重たい、休んだほうがいいと思い、帰宅後すぐにベッドへ直行しましたが、寝付けず。
絵を描いてみるも、気分は晴れず、音楽を聴いて落ち着こうと思っても、耳に障り・・・。
散歩に行って、考えてみようと思い、散歩に行きました。
私はいつも散歩している時に一人でブツブツしゃべる癖があります。なので、その時の散歩でも感じているものを言葉にしてみました。
すると、出てくる言葉は私が怒りを感じた時に出る言葉でした。
頭では「悲しみ」だと思っていた感情が実は「怒り」だったということを言葉に出したことで気付きました。
「あ、私今怒っているんだ。」と。
私が怒った原因は、同部署の先輩が平然と陰口を言っていることでした。
陰口ってすごく気分を害するものだと思います。
「別に自分のことを言われているわけじゃないから、気にしなければいいじゃん」思うかもしれません。
でも気になってしまうんです。
なぜ気になるのか考えてみると私の過去につながっていました。
私は小学生・中学生の頃に自分の陰口を言われているのを他人から間接的に聞いたことがあります。そのときにすごくショックを受けました。
ショックを受けたと同時に、イヤ~な気持ちになりました。何とも言えない気持ち悪い感じでした。
今回、会社でそういったことがあり、過去の感情が思い出され、「なんでそんなこと言うの?!」と、すごくイヤな気持ちになりました。
そのイヤな気持ちが言葉になって出てき、「なんで陰口言うんだろう。人の陰口を言うより、人の良いところを話しているほうが気持ちがいいのに。言うんだったら良いところ言えばいいのに」って思いました。
こう言っている私も今の今まで陰口を全く言っていないかと言われると、そうではないです。
言ってしまう時はあります。
私の場合、大方嫉妬だったり、やっかみだったりします。その感情を感じて認めるまで長く時間がかかってしまいます。そういう時はモヤモヤしている感情を書き出して、整理します。整理がつくときもあれば、つかずに泥沼にはまってしまときもあります。
今回は泥沼にはまりかけ、その結果、「心がしんどいわ」となって仕事をお休みしました。
すごくしんどくて、熱はないのに体が火照っていたり、頭が熱を持ったかのようにぼーっとしたり…体に出てくるのは初めての体験でした。
仕事を、お休みして、離れたことで、自分の今まで抱いていた「悲しみ」は「怒り」だったことを発見したので、新しいものが増えた感じがします。
仕事を休むことに賛否はあるかもしれませんが、休んで自分を見てあげることも、自分にしかできない大切なことだと思いした。
毒親に育てられると、自己肯定感が低い
毒親に育てられるとどうなる?の最初は『自己肯定感』について書きます。
毒親に育てられると、自己肯定感が低いです。
なぜなら、幼いころ、親から怒られたり否定されたりしてきたからです。
例えば(私の場合)・・・・
「○○は成績いいのに、なんであなたはテストで点数とれないの?」
「なんでこんなのもできないの!」
「扱いにくい子」
「うちの一番できない子」
など、こういった言葉をずっと言われ続けるので、そのうち「自分はできないんだ」「自分は悪い子」なんだと思うようになります。
言葉で人格を否定されると、「感じる」ことが麻痺していきます。(←これはまた別な回で)
そして、何をやるにも怖気づいてしまい、「私はできないから・・・」と諦めてしまうようになります。
それと同時に、「できない自分」のことが嫌いになっていきます。
ほかの人はできるのに、「なんで自分はできないんだ!」と思い、できない自分が嫌いになり、自己嫌悪に陥るのです。
また、一番近くにいる「親」というのは、幼い頃は「絶対的な存在」で、たった一言で全てが変わってくるのです。
「あなたは素晴らしい子」と言われると嬉しくなり、「あなたはダメな子」と言われると、とてつもない悲しみに襲われ「自分はダメな子」なんだと、思うようになります。そして、言われた言葉ってずっと記憶の中に残ります。
「あなたはダメな子」と言われ、次に「あなたは素晴らしい子よ」と言われても、混乱します。
何気なく言われてた言葉はずっと記憶の中に残り続けるのです。
かけられる言葉が違えど、負の言葉を言われ続けると、言葉に縛られるようになり、自己肯定感は低くなっていき、自己嫌悪に陥ります。そして、何をやってもうまくいかない、毎日理由も分からず「苦しい」「辛ひ」となっていくのです。
しかし、自己肯定感が低い事実と原因に気がつくと、何度でも修正・立て直すことができます。
私は大学の頃のタカさんに言われて気付きました。言われるまで自分は自己肯定感が高いと思っていました笑
タカさんに言われて気付き、そこから、なんでこう思うようになった原因を考え、自分と向き合いました。でも、すごく心が辛くなり、途中で放り投げてしまいたくなります。
私は放り投げたくなったら放り投げます。何度か放り投げ、放置をしていたこともありました。けれど、投げて心が落ち着いたら、また向き合います。修正していくことは一度や二度では終わりません。
長い時間がかかります。
しかし、見て見ぬふりをし続けるより、何百倍も良いことだと思います。
原因を考えて向き合って、辛くなったら休憩したらいい、投げ出していい。でも、投げ出しても、心は気になっているので、どのみち向き合います。向き合って、辛くなって休憩しての繰り返しです。
そうして、ちょっとずつ一歩一歩、自己肯定感を修正してあげていきます。
今も日々、向き合っています。
次回は「毒親に育てられると、感覚が麻痺して分からなくなる」
感覚が麻痺するして分からなくなるってことはどういうことなのでしょうか?
感覚が麻痺すると本当に分からなくなります。←麻痺しているから、この事実にも気付きません。
余談ですが٩( 'ω' )و
ブログを書いていて、タカさんや周りの人に言われて気付かされたことが多いなって思います。
毒親に育てられるとどうなる?①
毒親に育てられるとどうなるのでしょう↓
(わたしの場合)
- *自己肯定感が低い
- *痛みに鈍感になり、感じることができなくなる。(嬉しさ、楽しさなどの感覚)
- *猟奇的な一面が現れる
- *親が嫌いすぎて(特に母親) 寝ている側で「死ね」と小声で言う。
- *毒親だけれど、やっぱり愛されたいと思う
私の場合はこんな感じです。
これをシリーズで書いていこうと思います。
毒親に育てられて良いことなんてありません。むしろ悪いことや厄介なことばかりです。
毎日、苦しい、辛ひってなりながら、それでも生きたいので生きています。
大げさだな、って思う人がいるかもしれません。けれど当事者って本当に本当に苦しみと辛さと隣り合わせで生きているのです。
意外と、うちの親は毒親じゃないと思っている人ほど、毒親だったりするのです。(私がそうでした)
次回「毒親に育てられたら、自己肯定感が低い①」
毒親ってなに??
毒親とは
“毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親、子どもが厄介と感じるような親を指す俗的概念である。学術用語ではない。”-Wikipedia
毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親
↑これが毒親です。
例えば、「バカ」「チビ」「のろま」「デブ」
「○○はできるのに、あんたはできないんだから」などといった暴言を吐く。
ピアノを弾いているときに、うまく弾けてないとと言って殴る(虐待)
これはほんの一例です。
そして厄介なことに、自分の親は毒親ではない、親にやられたことは、躾なんだ!あれは愛情だから、と多くの人は思っています。
なので、親が毒親だということに気づかないのです。
私も大学生のときに友達から言われ「あ、うちの親って毒親なんだ」初めて気づきました。
友達には今でも感謝しています。
「ななの親って毒親だよね」って言われなかったら気づきませんでした。親が私にやってきたことは躾だから…としか思っていませんでした。
毒親に育てられた私は、自分の親が変だということ、そして今まで”躾””あなたのため”というのは全部親の身勝手なエゴだということを知り、落胆はしませんでした。むしろ全ての感じて来た違和感がスッキリしました。
では、毒親に育てられた私は一体どうなったのでしょう…??
次回!「毒親に育てられた私はどうなったのか①」
毒親闘争記に出てくる人紹介
毒親とあったことをまだアップしていないけど、着々と書いています。
今日は、闘争記に主に出てくる人紹介をしようと思います。
・毒親 主に母親。(時々父親)
気性が激しい。過去に子供に言った言葉をほぼほぼ覚えてない。
暴言・虐待は当たり前。
・私(毒親に育てられた子供)
大学生の頃まで親が毒親だと知らなかった。
大学の友人に言われたことで、親が毒親ということを知る。
・大学の友人
親と私以外に、大学の友人はよく闘争記に出てきます。話によっては兄弟が出てきたり、ほかの人が出てきたりします。
毒親闘争記だけではなく、ちょいちょいほかのことも書いていきたいと思います。
では、また次のページで(*‘ω‘ *)